阪大2021
阪大2021(A)
私が「学ぶことって楽しいな」と思えるようになったのは、大学を卒業して社会に出てからです。一度学びの楽しさを味わってからは、やみつきになりました。学べば学ぶほど、いままでわからなかったことがわかるようになり、それによって自分の視野が広がります。知らないことや新しいことに出合うと好奇心が刺激され、もっと多くのことを学びたくなります。
(池上彰. 2020.『何のために学ぶのか』SBクリエイティブより一部改変)
阪大2021(B)イ
ある登山家がひとつの登山をして、その記録を文章に起こし単行本にまとめたとする。しかし彼が本を書いたからといって、その本の読者は、彼の登山の根本がこの本によって侵食されているとは感じないだろう。登山家にとっての表現はあくまで登山行為そのものであり、その登山行為をあとから文章にまとめたところで、そんなものは所詮“おまけ”、彼の登山の副次的な生産物にすぎない。あとから本を書こうが書くまいが、いずれにせよ彼は山には登っただろうし、登っている最中にあとから本を書く自分を意識するなどということもない。つまりこのとき登山家は純粋に行動者――あるいは行動的表現者――として完結できている。
(角幡唯介. 2020. 『旅人の表現術』集英社)
阪大2021(B)ロ
なぜ「表現の自由」は守るに値するものなのか?残念ながら、その問いに対する答えは憲法本文には書かれていない。書かれていないのは、それが自明だからではない(自明なら「表現の自由」をめぐって論争が起きるはずがない)。書かれていないのは、その答えは国民が自分の頭で考え、自分の言葉で語らなければ ならないことだからである。
表現の自由にしろ、公共の福祉にしろ、民主主義にしろ、それにいかなる価値があるのかを自分の言葉で語ることができなければ、「そんなものは守るに値しない」と言い切る人たちを説得して翻意させることはできない。
(内田樹.「民主主義をめざさない社会」 http://blog.tatsuru.com/2020/03/26_1503.html より一文改変)
阪大2021外国語
(1)脳の進化の歴史をたどれば、人間は合理的に考えることのできる知性を発達させることで繁栄もしてきましたが、その合理性を適度に抑えることで集団として協調行動をとることが可能になりました。
それが、今日まで人類が発展を続けることができた大きな要素だったのではないかと考えることができます。果たして、(2)合理性だけが発達した人間は、どのように扱われるのでしょうか?彼らは、異質なものとして人間社会からは排除されてしまうのです。
(3)ただ、その人間がつくり出した合理性の塊が人工知能だとすれば、これは人間の不合理性とは補完的に働き、強力なパートナーシップを築くことも可能性としては十分にあり得ます。AIとの勝負、などと煽るつまらないビジネスをしている場合ではなく、このディレクション(使い方)ができるかどうかこそが人類の課題と言えるでしょう。
(中野信子. 2020.『空気を読む脳』講談社 より一部改変)