「文法」は「基礎」である。

言うまでもないことかもしれないですが、「基礎が大切だ」という言葉は、言語学習の現場だけにとどまらず、教育や、スポーツなど、様々な「成長」を目指すフィールドでよく用いられる表現だと思います。

英語学習において、その指示するものは、僕の経験では、ざっくり「文法」と言われることが多い気がします。

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ところが、実際に外国語を用いて知り合いにメールを送ったり、友達と話をしている中で、「文法」が基礎であるという感覚が、実感として、あまり湧いてこないような気もします。

現在完了形を用いて会話ができたり、きちんと日時を伝えるために前置詞が使いこなせたりすることは、「文法」という分野でカバーされている内容だとは言えます。が、「使用」という文脈で語るのならば、「文法」という言葉の響きが示唆するもの一つである「規則」という側面と、多少ずれているのではと思うようになりました。

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規則が大切なのは、確認する必要がないくらい当たり前のことかもしれませんが、実際に言葉を使用しているときには、その規則を、ただ理解し、使用できるだけでなく、苦労なく、何なら、そこまで考えなくても利用できる能力に、大切であるということのフォーカスが当たっているのではないかと感じるようになったのです。

とはいえ、「文法が基礎である」という言い方を否定しきることは、できません。いやむしろ、心のどこかで「文法が基礎である」という感覚を持ち合わせてすらいます。

そこでいろいろと、考え、悩みぬいてみました。

そうするとある単純なことに気が付いてしまいました。それは、「観点」というキーワードです。

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ある実体は、見る角度によってさまざまな見え方をしています。甲子園球場で行われているプロ野球の試合は、僕にとっては「エンタメ」ですが、当の選手にとっては「職業」であり、ちびっ子たちにとっては「あこがれ」だったりするかもしれません。もしかしたら誰かさんにとっては「迷惑(ごめんなさい!)」になっていることすらあるでしょう。

それと平行的に考えると、言語の基礎も、観点によって見え方が違うんではないかと認識するようになったのです。

1文を取り出して、切ったり、分解するという観点で大切なものは何でしょう?これは「単語」に当たるのではないでしょうか?いきなり接辞で切る人はいないと思います。ましてや、分かち書きをする習慣のある言語(英語や韓国語)は、単語ベースでそれを実行する場合が多いのではないでしょうか。「文を分ける」という観点では「単語」が今のところよく使用されている、認識しやすい「基礎」ということができると思います。

そう考えると、「文法」という言葉は、どういう観点における「基礎」なのでしょうか?「規則」は体系の根源です。それを前提とすると、「文法」は、言語を体系的に説明するときの基盤であるといえると思いました。そういう意味では立派な基礎ですよね。

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では僕が感じていた、言葉を使用しているときの基礎に当たるものは、なんでしょう?

ここで思い当たったのが、言葉を使用しているとき、特に基礎的なレベルにあるときに重要なのが、いやもしかしたら、相当なレベルになった時こそ大切なのが、学習し始めの時に習う事項を、ゆっくりではなく、素早く使用できることでした。仮に文法的に複雑なものであったとしても、ほんとに頻出する、簡単なレベルに関して、時間をかけてではなく、短い時間で処理する。聞くときは言うに及ばず、それが、話すという段になると、ことさらその短時間性が重要度を増してくるということでした。

langerd

日本では、外国語というと、まず英語にいそしむことが通例となっています。そこで、英語を使用するうえで何が基礎になるのかということについて触れることによって今回のお話をまとめたいと思います。

英語を習い始めるのは、最近でこそ小学生のときということになっていますが、それでも本格的に学ぶのは中学生のときということができると思います。それを前提とすると、「中学生の時に習う内容がより素早く処理できていること」が、英語の使用を目的にする人にとっては基礎なのではないかと提案することができると思います。

よく、中学英語があれば、たいていのことができる的な発言を耳にすることができると思います。僕も、いくつかの外国語を使用していて、

「あ~僕今、○○語つかえてるわ~」

と感じるのは、中学英語程度の内容を、難なく使えるようになっている瞬間だと思いました。

langnerd